あさお診療所は10月1日で開設20周年を迎えました。

これまで診療所建設に尽力してくださった方、地域で医療生協運動に尽力してくださっている方、診療所運営に協力くださっている方、すべての方に感謝申し上げます。これからも地域のみなさまに必要とされる診療所をめざしてがんばります。

実行委員会作成のあさお診療所今昔をポスターで院内に随時貼り出しをしていきます。また職員もこの間やっている診療所の医療活動について、ポスターで貼り出していきます。診療所にお越しの際はぜひご覧下さい。また毎月の診療所たより、支部ニュースにこれまで尽力してくださった歴代の方のメッセージを紹介していきます。よろしくおねがいします。

あさお診療所開設20周年のメッセージ⑤ 4代目事務長 植村 仁志

地域組合員、職員に支えられた2年間、今、改めて思うこと

2004年に4代目事務長として着任し、右も左も分からない若輩者の自分を包み込むように迎え入れ、そして成長させていただいた皆様に改めて、感謝申し上げます。

 私は診療所で鍛え上げられた2年間、その後、川崎協同病院の医局へと異動し全日本民医連へ5年間出向、現在神奈川民医連事務局にいます。

 当日を振返ると本当に困難の連続で、個人的な力量不足に加え、初代山本博章所長から、2代目所長へと交代となる時期とも重なり、医療内容等の変革期でした。そんな中、困った時には、「右手には組合員・地域からの信頼と職員、左手には患者の権利章典・民医連綱領」があったからこそ、乗り越えることが出来、今があるのではないかと思っています。

 昨年10月1日に開設20周年を迎えた普遍的歴史が継承されていることへの確信には、現在、活躍されているスタッフと地域との連携の積み重ねがあるからこそと思います。組合員・地域の熱意と職員との掛け算が歴史を支えているのだと感じます。

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 サッカーで言えば、強豪国には必ず確固としたスタイルがあります。パス・ポゼッションサッカーと言えばスペイン、個人技を結集させチーム機能を発揮する南米系、トータルフットボールと言えばオランダと言うように。

 医療、介護・福祉、社会保障の変革期、ターニングポイントとなる時代の中にあっても、あさお診療所スタイル、地域組合員、職員の熱意は、強い意味をもつものであり、常に、その時代、地域の中から出発していることの表れだと思います。目の前にあることを受入るという率直さと、その場に応じて適切に対処できる柔軟性を、当時の地域組合員、職員と共に歩めたこと、自分自身を成長させてくれた最高のステージの一つでした。

植村 仁志

あさお診療所開設20周年のメッセージ ④ 2代目事務長 荒居正弘 

 あさお診療所時代の思い出

2000年6月より事務長として赴任しました。

それまでは、川崎区の病院や診療所で組合員さんと医療生協活動に取り組んでいましたが、あさお診療所に異動して驚いたことは、自主的な組合員活動の取り組みが行われていることです。組合員さんが独自に討議して、様々な取り組みを積極的に展開していました。

川崎医療生協が川崎競馬場で開催した50周年記念行事を契機に発足した、合唱サークルのあさおコーラスミールは、現在も継続しており、発足当時からの組合員と一緒に楽しく合唱の練習をしています。今年で16年目になります。

在職中には、私の力量不足により組合員と職員の皆様にご迷惑をおかけしましたが、あさお診療所での医療活動や組合員活動を懐かしく思い出します。これからも、あさお診療所の医療活動がさらに発展することを願っています。     荒居 正弘

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 あさゆりの会総会であいさつする荒居事務長(左)

あさお診療所開設20周年メッセージ③〜初代事務長 高橋 宏

開所二十周年おめでとうございます。

組合員とともに、組合員に依拠する、組合員との協同を育む。建設運動期間と診療所開所から軌道に乗るまでの五年間の私自身のキーワードのひとつでした。“開所前”から立ち上げた院所利用委員会、その活動の中から生まれたマイカルテなど画期的なとりくみを創り上げました。

どんな課題にも貫けたのか、きちんと出来たか、振り返れば足りないことが多かったと思います。定年後の再雇用で現在、法人本部の健診・保健指導業務事務センターの事務長職を担っています。組合員さん、患者さんとの接点が余りありませんが、あさお診療所時代の学びを今後とも活かしていきたいと思う今日この頃です。

あさお診療所の建設委員会事務局及び初代事務長として在任した五年間、組合員の皆様に大変お世話になりました。改めて感謝申し上げます。 高橋宏

あさお診療所開設20周年メッセージ①〜初代所長 山本博章〜

あさお診療所開設20周年おめでとうございます。

「診療所の開設は、組合員2000人を越さなければ、開設すべきではない」というのが日本生活協同組合連合会、医療部会の当時の方針でした。麻生地区では組合員は600〜700所帯だったと思いますが、今後頑張るということで無理に出発したのでした。

 事務長:高橋宏、看護師長:中村登美子で診療所はスタートしました。開設当時は患者様が一桁の日もありましたが、建設委員のみなさまのお力を借りながら、医療生協は組合員が主体ということで、医師を中心とするのではなく、利用委員会を重視して運営をしました。そして自己紹介カードの積極的活用、インフォームドコンセントを重視して取り組んで活動してきました。

振り返りますと開設当時新百合ヶ丘駅周辺の大きな建物は「イトーヨーカドー」のみで、「オーパ」「ビブレ」「川崎西合同庁舎」などはありませんでしたし、食事にも苦労しました。

また麻生は川崎のチベットという評価で、川崎協同病院を出るときは雨でも麻生は雪のことが珍しくはなかったのでした。往診で雪の日は、麻生は山坂の多いところですが、軽自動車にチェーンをつけていても登れず、車を坂の下において診療したこともありました。

 在任中は土屋恒篤医師(故)、林和弘医師、須田セツ子医師、田中久善医師、高橋誠医師の支援をいただきました。改めて厚く御礼を申し上げます。そして  2代目荒居、3代目伊藤、4代目植村各事務長、松本富江2代目看護師長、職員の皆さまのお力添えに感謝いたしております。

 医療生協としての存在意義のある医療機関として、川崎医療生活協同組合あさお診療所の益々の発展を期待し、組合員職員の一層のお力ぞえをお願いします。

 改めて、開設20周年のお慶びを申し上げます。

初代所長 山本博章

あさお診療所開設20周年のメッセージ②〜初代看護師長 中村登美子〜

診療所開設の
1996年10月1日のテープカット 
写真右が中村さん 

 あさお診療所20周年に寄せて

おめでとうございます。早いものです。20年前は、半日の患者数が一桁でした。入口の自動ドアの開く音の主は、患者さんというより、心配した組合員さんが、思いついたように患者に早変わりしていました。その分職員と組合員の一体感は強かったように思います。 

一緒に出かけた一泊での旅もそのうちの一つで、とても懐かしい思い出がありました。それは一日目の夕食が大変なご馳走で、私は二日目の昼は軽いものにしました。ところが普段高脂血症で悩んでいたKさんが、焼き肉定食を注文され完食してしまいました。私は改めて「答えは現場にあること」を、実感しました。本来、「医療はわたしたちの手に」となりがちですが、「医療はわたしたちの手で」を合言葉に組合員さんと共に実践してきたように思います。患者さんの顔がみえる、組合員さんの台所が見える診療所での活動は楽しかったです。

ますますの発展を願っています。 初代看護師長 中村登美子  

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